1858年、ムガル帝国崩壊後、宗教対立で混乱する隙に、綿花を求めて来航したイギリスに取り込まれ植民地化。1870年代、不凍港を求め南下政策を取るロシアがウズベクを合併すると、英国は先手を打ってアフガンやチベットへ出兵。現在のチベット問題の発端となった。1912年、辛亥革命で中華民国樹立。ダライ・ラマ13世がチベット独立を宣言し、英領インド東部とチベットの国境線(マクマホン・ライン)を策定するも、中国は拒否。争いは現在も続いている。
第2次世界大戦で枢軸国側に付いて大敗したことで反英運動が高まり、1947年にインド独立。同じく、イスラム教徒の諸州が分離独立してパキスタンが成立。悪評高い日本のインパール作戦だが、図らずもインド独立の扉を押したと言えまいか。
米ソ冷戦期、英米がソ連拡張への「防波堤」としてパキスタン支援に乗り出すと、ネルー首相は中ソと結んで社会主義化。蜜月を謳歌するも、毛沢東のチベット合併で関係悪化し、ダライ・ラマ14世がインドへ亡命。1962年の西部地方における中印国境紛争を契機に、理想主義者だったネルーの娘のインディラ・ガンディー首相は、リアリスティックに核開発に着手。アメリカは激しく非難するも、結局インド、パキスタンの核保有を容認。パキスタンを加えた当該国境をめぐる小競り合いは、昨今も耳目を集めている。
2004年、少数派シク教徒のシン首相が、経済発展による国力強化を掲げ市場経済を導入。発展著しい新興国BRICsの一員にまで成長したが、裏腹に貧富の格差が拡大し、宗教反目が再燃。2014年から就任したヒンドゥー教下級カースト出身のモディ首相は、ナショナリズムへの回帰を選択。モディ政権は、日米と軍事的友好を構築する一方で、中国主導の上海条約機構や一路一帯構想へ参加し、バランス外交を展開。自国経済がチャイナマネーに頼らず自立できれば、インドは今世紀半ばには中国と肩を並べる大国となるだろう。