19世紀、すでに国家を形成していたイランを除き、一帯はトルコ人のオスマン帝国が掌握していた。両国とも近代化を進めたが、財源を英仏からの借款に依存し、半植民地化して国内産業が衰退。イギリスとフランスはアラブ独立を支援するも、水面下でサイクス・ピコ協定による帝国分割を画策。第1次世界大戦でドイツに加勢したオスマン帝国が崩壊したことで、欧州2カ国はアラブ地域を細分割し、石油利権を確保。地方豪族のサウード家が牛耳るサウジ地域は、英仏支配を嫌ってアメリカの支援を選んだ。
現代、サウジアラビアは、アラビア半島を統一し、英国寄りのハーシム家(イラクとヨルダンの王家)から聖地メッカを奪い、スンナ派の中でも教条的なワッハーブ派を信奉。イスラム原理主義はアラブ諸国間でも突出する。米石油メジャーと結託し、独裁政権で、油田地帯のペルシャ湾沿岸をはじめとしたシーア派(親イラン派)の分離独立運動を弾圧している。一方のイランは、石油大手と結んで富を独占する親米王政を、1979年にホメイニ師が呼び掛けたイラン革命で打倒。イスラム法学者が最高指導者として統治を行う、イラン・イスラム共和国が成立し、米国と国交断絶。石油を国有化したことで米英から経済制裁を受け、生き残りを懸けて核開発に着手。傍ら、革命防衛隊が中東各国へテロを輸出し、シリアやレバノン内戦で暗躍。同国とサウジアラビアは、一触即発状態が続いている。
米国と蜜月のサウジだが、民主党のオバマ大統領がイランと歴史的宥和を図ったことでぎくしゃく。後任の共和党トランプは関係修復に余念がない。翻って、石油エネルギーをペルシャ湾周辺国へ全面依存するわが国がすべきことは、何をおいても「脱中東」だ。好戦的な中東で、2大国の全面戦争となれば第3次世界大戦にも発展しかねない。昨年のタンカー攻撃など、いつ巻き添えを食うか分からない状況の改変が喫緊の課題となる。