敷田氏は1968年生まれ。高校時代、英国に短期留学したことで海外志向が強まる。麗澤大学中国語学科を卒業後、中国に力を入れていることを見越してYKKに入社。配属された貿易関係の部署は不得手な事務仕事で面白くなく、きっちり5時で退社していた。生意気な新入社員がいるといううわさを聞きつけた他部門の上司に声を掛けられ、翌日復帰して異動。マンツーマンで仕事の取り組みを鍛え直された。
1994年、新規事業立ち上げのため香港駐在となったが、会社の登記から備品の準備に至るまで自分で何もかもしなければならず、大変苦労した。香港人の上司に多くの人が集まる場へ毎晩のように飲みに連れて行かれ、ビジネスの駆け引きを肌身で体験できたことで、その後の業務で非常に役立った。
同社のファスナー生産は国内から始まったが、1980年代より国外進出が増え、現在では海外生産が9割を占める。アパレル産業が、中国をはじめ、ASEANや南アジアで展開してきたことと相関している。海外に出る際、上司に言われるのは、お客さまのそばで生産すること、「土地っ子」になれということ、最後は現地人に任せるということだ。YKKでは他社と比べて駐在年数が長く、海外から海外への異動も当たり前のようにある。現地語が分からなくても若いうちから飛び込ませる。苦労もするが、返ってくるものも大きい。
敷田氏は、1999年から上海へ、2009年からは最高責任者としてベトナムに赴いた。新任地では、成長したことを実感して活躍できるという。さまざまな国籍を持つスタッフと良好な関係をつくるには、一人一人に関心を持つことだ。それが彼らのモチベーションとなる。ルールや習慣を示すには、自分をさらけ出し、ぶつかり合うことが大切である。フェア査定も不可欠だ。まずは10年間、一生懸命、仕事に取り組む。誠意を持って接すれば、現地人とも友情関係を築ける。ネットワークが広がることは、人生としての醍醐味でもあり、世の中のためにもなっていく。それが海外で働くことの本質である。