クラウンラインは海外引っ越し専門会社であり、アジアを中心に、北米、中東を含め、11カ国に拠点を持っている。物を運ぶ物流サービスだけでなく、顧客の立場に立って、現地の気候や風土、不動産状況なども、きめ細かく情報提供するのが売りだ。引っ越しだけに限らず、生活情報誌を出版したり、日本語FM放送を手掛けたり、多角的に経営している。本番組では、同社本社があるシンガポールに出向き、同社代表取締役会長である森幹雄氏に、同社の歩みや、日本人が海外で成功する秘訣などを伺う。
森氏は父親が船乗りであったことから、幼少期より海外への憧れを抱いて育った。工業高校卒業後、日立製作所へ入社するが、高卒で大企業では出世は望めないと悟り、3年で退社。渡米し、半年間語学学校に通う。帰国後、再就職しようにも、いったんレールを外れてしまうと、日本では敗者復活もセカンドチャンスもないことに気付く。再び海外を目指し、シンガポールにある外資系物流会社に転職。1980年に独立、日本人による日本人のための海外引っ越し会社「CROWN LINE (PTE) LTD」を設立した。当初はトラックも倉庫も従業員もなく、日系企業が多く入っているビル内にオフィスを借り、アウトソーシングで営業のみを行った。「辞令が出たらクラウンへ」というキャッチコピーを入れたチラシを配り、目立つようにサイズが少し大きい名刺をつくるなど、地道に営業。当時は競合する企業がなかったため、事業は順調に進んだ。人を雇い、事業を拡大していくが、1年目で家やベンツを買ったり、飲み歩いたり、自分だけがいい思いをしていたため、社員が反発。独立されたり、売上金を持ち逃げされたり、イラン・イラク戦争時に物資を運ぶ事業で失敗して3億円の借金を抱えたり、片腕だった社員を交通事故で失ったり、艱難辛苦に見舞われた。そのとき妻から「二人の子どもは自分が育てる。かばん一つで来たのだから、かばん一つで日本に帰りなさい」と言われ、大和魂に火がついた。おめおめと日本に帰れるかと奮起して、1からやり直すことを決意。「俺が、俺が」という意識を改め、待遇も改善して社員一人一人を大切にすることを心掛けた。海外で成功するには、高い志があるかどうかが重要だ。ローカルで、すでにある市場には出て行かない。チャンスだと思ったら一気に挑戦する。アイデアは考えるだけでなく、実践して、反応を確かめて進化していく。ちょっとした工夫が成功につながる。米やヌードルを食べ、文化も日本となじむのは、欧米ではなくアジアだ。挑戦したい若者は、いつでも受け入れたいと、森氏は締めくくった。