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「経営と社員のチーム」をつくる > 「経営と社員のチーム」をつくる 02

チームが生まれるとき
ゲスト:稲生武氏(いすゞ自動車株式会社特別理事/東日本旅客鉄道株式会社顧問)


概要:
1990年代、日本は社員と経営側が良好な関係を築いていた企業が多かったが、いすゞ自動車は必ずしもそうではなかった。当時のいすゞは乗用車からバスまで車全般を手掛けており、丁寧かつ高技術力で名車を産み出していた反面、収益には結びつかず、減給、疲弊という問題に直面していた。戦略転換に踏み切れなかった会社は社内から信頼を失っていったが、同時に、改革を仕掛ける動きも始まった。そのとき社内には何が起きていたのか、改革はどのように進んだのか。実行者の一人である稲生武氏を招き真相を明かしてもらう。
企業が戦略変更することは簡単ではない。旧態依然のまま事業続行しようとすると、社員は次第に会社へ注いだ信頼感を喪失する。いすゞはまさにこの状態へ陥っていた。1990年、仕掛け人である当時部長だった北村三郎氏と共に、稲生氏は改革へ動き出すことになる。きっかけとなったのは、会社が進めていたTQC(全社的品質管理)からの撤退と、関和平氏に社長が交代したことだった。新社長は声明文を発表し、「風土改革の先頭に立ち、そのために私自身が変わります」と宣言。開発面では乗用車生産の取り下げを決め、ここに改革のベースができていった。だが、簡単には事が運ばなかった。トラックやバス専門に路線変更をしたものの、運悪くトラック全種のフルモデルチェンジ時期が重なってしまい、さらには海外から非課税障壁が問題となり、日本は大型20トン車を25トン車にすると決定。開発部のリーダーだった稲生氏は各プロジェクトに追われ、窮地に陥った。
このとき当番組講師の柴田氏がコンサルタントで入り、改革面、事業面と同時進行のアドバイスを行う。まずは従業員と業務に対する明確な判断基準をつくることに議論を重ねた。どのようないすゞ車をつくりたいのかという理念を出し合い、生まれたコンセプトは「信頼と安全」だった。現場チームからできた言葉は、これまで経営陣が提示していたきれい事とは違い、自ら判断した責任がある。
例えば「安全」という点では、事故現場へ行き、トラック事故の特性を研究、低コストで高安全性な車を開発した。あるときは若い社員が稲生氏を直接訪ねて意見を言う。「信頼と安全」を具現化するために、社員が自発的に行動するようになった。「目指しているものを共有」することでチームの質が高くなっていったと、柴田氏は振り返る。
昨今の日本企業は、会社内の信頼関係が希薄になる傾向が見られるが、自己改革から始まったいすゞの改善劇は大いに参考になるだろう。詳細は柴田氏の近著『どうやって社員が会社を変えたのか』にまとめられているので、参考にされたい。
講師紹介: 柴田 昌治(しばた まさはる)
株式会社スコラ・コンサルト 代表
1979年東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。大学院在学中にドイツ語語学院を始め、ビジネス教育の会社を設立後、1980年代後半から企業風土・体質改革のコンサルティングに取り組む。変化を妨げている価値観を変えながら変革のプロセスをつくり込んでいく「プロセスデザイン」というやり方が特徴。
『なぜ会社は変われないのか』、『なんとか会社を変えてやろう』、『ここから会社は変わり始めた』(編著)、『トヨタ式最強の経営』(共著)、『会社を変える人の「味方のつくり方』(いずれも日本経済新聞出版社)ほか、著書多数。

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  アシスタント:大橋 麻美子

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