都内の私立高校を卒業後、米国で4年間の語学留学を積んだ平林氏が帰国後、アルバイトを経て93年にH.I.S.に入社。
当時は株式公開を控え入社には「短大あるいは専門学校卒以上」という条件が付せられており、アルバイトで採用となった。
海外でのガイド経験を見込まれて最初に派遣されたのは、JALが就航して観光ブームにわくバリ島。
旅行会社の拠点がまだ少なかった現地では、ホテルのオーバーブッキングなどの問題が頻発しており、
平林氏は結果的に現地でゼロから支店の立ち上げに携わることで成果を上げ正式に社員として採用される。
第一次成長期を支えたのが格安航空券だとすると、第二次成長期の主役はパッケージツアーである。
他社が相次いで格安航空券を扱うようになるなかで、逆に他社のメーン商品だったパッケージツアーを武器に斬り込んでいったかたちだ。
勝因は大胆な差別化にある。
業界で常識だった価格を少しでも安く見せるための燃油サーチャージ別表記をやめ、なぜ安いのかを具体的に説明するデメリット表記を打ち出し、
ジャルパックやJTBなどの他社ツアーの取り扱いも始めた。
「社内でも抵抗がありました」と語る平林社長だが、H.I.S.はエアラインやホテルのプランを売る旅行代理店ではなく、
あくまで買う側の個別ニーズに応える旅を造成する旅行会社、
顧客視点でプラスになることは必ず受け入れてもらえる、を判断の軸に断行したという。
社員からは「誰よりもコミュニケーションを大切にし、隙のない攻撃型であきらめることを許さない」と評される平林氏が考える次のステップは、
まず30億人以上の市場規模であるアジアでナンバーワンの旅行会社になること。
次に全世界の拠点の相互間を網羅するネットワークを持つ世界オンリーワンの旅行会社を目指すという。
「10カ年計画までは完成していますが、その先は次の社長に任せます」と平林氏。次期後継者育成という重責も、若い力で乗り切る覚悟だ。