「金融資本主義」・「モノ売り」・「理論」・「性能」を指向するグローバルスタンダード化は、
「産業資本主義」・「モノづくり」・「実践」・「機能」を指向してきた日本には失うものが大きい。
よって、日本には当面の間モノづくりという選択肢しかない。
トイレ一つとっても、日本人は贅沢すぎるほどの利便性を追求する。
また、日本人はモノに感情移入をして擬人化、マシンをパートナーにしてしまう。
企画-理論-研究-開発-設計-製造というモノづくりのバリューチェーンにおいて、
日本人が得意なのは直ぐに役立つモノづくりの技能という川下部分である。
一方、意味のないと思われるイグノーベル賞において、
実は深遠な研究テーマで日本人の受賞もあり必ずしも川上が不得手という訳ではない。
風雅なセンスを持ちつつも手足を動かすことを尊ぶ日本の技術感は、
アジア各国に共通に芽生えつつあるものでもある。
大田区や東大阪のモノづくり技術も、秋葉原や渋谷の一見退廃的なサブカルチャーのどちらも日本の宝である。
日本には道具に魂を込める擬人化の世界観がある。
人の目のような乗用車のライトや隈取のようなバイクのカウリングもマンガを先祖としていないだろうか。
作り手も買い手も妙なこだわりを持ち、俺が町の新幹線を13種類も増殖させてしまう個人カスタマイズが好きなのも日本である。
道具を自分の心身の延長と捉える領域なら日本のモノづくりが世界でも勝てる。
敢えて利便性を突き詰めない「寸止め」の工夫や、「病み付き」となるような、もしくは「かすがい」の働きとなるような道具が日本の狙う領域である。
クールジャパンの正体とは勝つ技術ではなく、勝たせない技術で勝つことである。
「弱者視点のものづくり」・「気配り」・「配慮」がキーワードとなる。
中身の狼であるハイテク技術と、羊の皮であるおもちゃセンスの境界領域が、今後の日本のモノづくりのエンジンとなろう。
技術は道具にしか過ぎないと考えなければならない。